写真に関する話が続きまして恐縮ですが、佐内正史の『生きている』を手にしました。画像をあげようとしてみたけれど、ちゃんと出てるだろうか?
被写体は標識とかガードレールとか、普段あまり被写体にならないようなものばかりだけれども、おしっこをがまんしてるようなムズムズ感を胸にいだくことができました。
僕は好きな写真にこんな、どう表現すべきか分からない、素敵な感覚を覚えるのだ。言葉に出来ないというのは素敵なことだね!(語彙が無いということとはまた別のこと)
手にしてから色々レビューを読んでみたけど、「理解ができない」というのもあった。
まあ、実際理解しがたいと思います。 だって、別段きれいな風景が数多く載ってるわけじゃないし。
でも、「きれいな風景は奇麗だってことは分かってるんだから!」と僕は言ってみたい(断言する勇気はない)。
なんでもないものが、たまに「ぽろっ」と見せるかわいさや美しさを感じろ!その価値を信じろ!と、言ってみたい。(同上
なんでもないものが「うつくしさ」をたまに見せる。ってゆうのに親近感わくじゃないか!希望を抱いてしまうじゃないか!ぐだぐだのどこにでもいるような僕にもこんな瞬間があるのかしら?なんて。
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(脱線)
好み嗜好はひとそれぞれなのだから自分の価値感を他人に押し付けたりは出来るだけしたくない。でも、表面だけ見て、評価するのはどうかと。一緒に暮らしてみないと分からない価値もあるはずだ。。。と思うのです。
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普段、特に美を感じることなないものから、こころ動かす、なんともいえない感覚を得ることが出来るすばらしい作品。。。。でした。
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しかし、相変わらずタイトルとの関係性が無い。。。
次回は『ウチのスタジオの新しい照明に迫る』『フリーター文学、角田光代を読んだ僕』です。
期待しないことがルールだ。
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