2008年1月6日日曜日

ad libitum

アドリブこそジャズ、という言葉があります。

僕らが音楽を作るときはきちんとした話し合いは行わずに、なかばその場の勢いで決まることが多いです。もちろん真面目に詩を書いて題材となるインストに合うようなflowを録音の前に考えてはいるんですが(この録音段階になるまでどういったことを書いたのかお互い秘密にするのが暗黙の了解になっている)、思いとは裏腹に録音を始めてすぐに壁にぶち当たり、声を重ねていくたびに少しずつ壁が厚くなっていきます。

そういうとき、ちょっと気分転換に違うflowでやってみたりとかアドリブで面白いこと入れたりすることがあるんですが、それが案外個人的に上手くいってそのまま採用となるケースも多々あります。あくまで個人的に。

実際に僕らの曲を聴いてみると「なんでここ、変にやってるの?」と思うところがあるかもしれません。たぶん、そこがアドリブなんです。

ジャズも曲の途中にごちゃごちゃしたわけのわからんとこがあるんですがそこがアドリブ、ジャズの醍醐味なんです。たぶん嫌いな人も結構いるんじゃないかと思います。僕も大半の曲のアドリブは嫌いです。

しかしアドリブとは、本来の語源の意味が「自由に」であるように数々の演奏者がコード進行に沿って自由に演奏できる場面なのです。あのがちゃがちゃした耳障りな音も演奏者の個性なんです。演奏者たちの気持ちを最も読み取れる場面「アドリブ」こそがジャズの真髄なのです。

そんな感じで僕らも曲の空いてるところとかに好き勝手にアドリブで声入れたりとかしてるんです。その他にも自分たちのバースのとこに即興で何かやったりとか。それがごちゃごちゃ聴こえたならごめんなさい(特にK平のところ)。ホントはすっきりくっきり聴こえがいいように作ったほうがいいんだろうけど、それじゃあ世の中に出回ってる音楽の二番、いや三番、いやいや一個飛んで五番煎じになっちゃうし(sonodahirohisa氏は新茶だが)。そんなんならば個人的満足でいいやとアドリブで自分好みに録音して「はいおっけー」ってしちゃってるんです。そうやってジャズみたいに個性が産まれるんですね。


もちろん、アドリブで誤魔化してる部分もあるんですが、それは行き詰った壁をやり過ごす打開策でもあるんです。あぁ、アドリブって素晴らしい!!



そんな風に考えながらK平はレコーディングしてます。sonoda氏はまた違うこと考えてそうだけど。

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